↑ページトップへ

序言

今や我が国の工業は在来の模擬をのみ旨とせる態度を棄て主として創意発明を迎え日本固有に発展すべき時代に移らんとす。而して既に邦人の機械発明として世界に誇るに値するもの全く無きに非ずと言えども之を先進欧米諸国に比すれば概ね幼稚たるを免れざるの感あるは甚だ遺憾なりとす。

それ工業上に有要なる機械の発明たる之を小にしては特種工業の発展之を大しては一国もしくは世界人類上の急速なる発展を促がすものあり。蒸気機関の発明、発電機の創造の如きは工業の発達を促進せしめたる顕著なる例なり。往古における発明には純なる独創性なるもの多くしてこれらは天才かもしくは境遇にまつ事大なり。然れども今は必ずしも然らず。先人の残せし研究の結果発明工夫等に準拠しあるいは参考して更に何者かを加えたる者が改良又は発明として認めらるるに至り根底より研究せざる改良や小発明にても甚だ効果ある時代となれり。されば研鑽刻苦の努力によりて天才ならずとも特種の方面には大に改良発明を成し得るなり。

実際上の見地より機械各部の組み合わせと作用を学び之を他に応用せんとするはすこぶる可なり。然れども総ての機械に付て特種の作用を究めんには歳月においても境遇においても一般には許さざる処なり。されば実際に見分し得らるる以上において書籍に付て之を学ぶは甚だ捷径たるべきなり。実地に拘泥して学問を省みざるものは往々既に先人の考究せる著名の事実たるを知らずして無益の研究に陥るもの甚だ多し。

かつて聴く人あり、織機の一部を改良せんとして苦心の結果互い直角なる軸に動力を伝達する装置としてワーム・ギヤを考案したるもその後、この考案が既にすでに久しき以前より極めて便利なる機構の一つとして使用せられつつあるものなるを知り甚だ失望したることありしと。思うにもし彼人が斯かる機構を全ての人に先んじて考案使用したるものなりしならんには実に機構学上の大発明にして世人に賞揚せられしなるべし。然れどもかくの如くこれが既に已に先人の使用し慣れしものならんにはたとえその人の奮励努力したる精神は之を嘉すべき価値ありと言えども、ただその人の有する知識が狭隘なりし為に先人が吾人の為に遺せし跡を知らず、いたずらに無用の事に向い時と労力とを費せるものにしてまことに遺憾なる事ながら彼の人を称して賢者の取るべき途に従いたるものと為すべからず。されど彼の人が発明創意に対しては少なからず天才を有したるとは疑うべからざる事にして世に斯かる天才が一つにその知識の狭隘なるが為めか又は寧ろあまりに世間と没交渉なる為に人に無用の方面に心身を労費する例に乏しからざるを聞くは思うにこれ社会経済上決して観過すべき事にあらざるべし。

吾人、幸いにも聖代の御代に生れ諸般工業上の進歩発展著しく諸工場、諸会社、勃起しこれらに使用せる諸機械の発明改良を観ば、けだし先人が吾人に与えし知識の範囲の広大を極め精細を画す事驚くべきも其の内現今の需要に応ずべき特種の発明に利用適すべく骨子たるべき箇所はただ数点にして蓼々晨星の感あり。彼の荘子の所謂「鷦鷯深林において巣をなすも一枝に過ぎず偃鼠は河に飲むも満腹に過ぎず」とは至言なるかな。

余が不才を顧みず敢て本書を著す所以の一つは実に之に属するものにしてに之に依りてあるいは社会における発明的天才をして知識の狭隘より来す時と労力との無益の使用を減じて進んでは先人が創意考案せる各種の機構を知得し、それらを結合推及して以て既に作られたるより以上の創意発案をなし、天才をして只々遺憾なくその才能を発揮し、よりて我国の工業が益々発達し得ん事を庶幾したり。

本書は斯くの如きを以てその目的の一つとなしたりと言えども、また以て一般機構の種類、構造理論の一端を知らんとする初学者に対しても参考となるべきを信ず。余が本書に対して期待する処、甚だ多し。然れども公務の余暇の編著に属するが故に期待と実地と相離るること遠きを恐る。而して余は逐次之を完成に相近からしめんことを期すると言えども、もし世の識者が本書に対し幸いに指教の労を惜しむなく余の期待の実現を完からしせるを得しめなば余の幸、之に過ぎざるなり。

明治四十五年
著者識